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日刀保たたらの仕事の役割について日刀保たたらと炉の仕組みについて
玉鋼が日本刀になるまでの過程未来へ伝えるたたら交流活動横田町とたたら製鉄が育む文化



     ■たたら製鉄がどのように普及したか

     たたら吹き製鉄を行うためには、大量の砂鉄と木炭を必要とします。奥出雲地方は、風化した花崗閃緑岩と、黒雲母花崗岩類(当地方では真砂土という)を母岩とする地帯であり不純物の少ない良質な砂鉄である"真砂砂鉄"を採取することができました。 また、中国山地の脊梁から派生する尾根ゝの、豊富な山林資源にも恵まれ、たたら吹き製鉄の燃料である木炭の調達も容易でした。  
 
     中世までは、数多くの鉄師により"野だたら"と呼ばれる小規模な製鉄が営まれていましたが、江戸時代に入ると松江藩の鉄行政により、有力な鉄師9名のみに"たたら吹き製鉄"の許可が与えられました。また、山林をその鉄師のたたら製鉄用に指定するなど、強力な保護政策が行われました。 このことにより、弱小の鉄師などの新規参入が排除され、有力な鉄師のみによる大規模な操業が行われることになり、国内屈指の製鉄地帯となりました。
 

     ■復活した日刀保たたらについて


     日刀保たたらは昭和52年に開設されました。その理由として、現代刀匠の作刀材料の枯渇があげられます。そこで、横田町大呂の地にあり、戦前、和鋼生産が盛んであった「靖國たたら」の跡地を利用することとなりました。そして(財)日本美術刀剣保存協会によって、たたらの復活がはかられたのです。そこには様々な人々の大きな努力がありました。復活とともに「日刀保たたら」は国の選定保存技術にも認定され、貴重な玉鋼を生産しています。  
 
     この復活した「日刀保たたら」は、毎年冬に約3週間、連続して操業を行っています。復活当時の村下であり、選定保存技術保持者(技師長)は安倍由蔵・久村歓治の2名でした。この方達が戦前の「靖國たたら」の技術を伝え、そのもとで現在の木原明・渡部勝彦両氏が村下(選定保存技術者)となり、明日を担う9名の操業員とともに、復活した「日刀保たたら」を日夜支えています。  


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