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米づくりの流れとその変貌(今と昔の道具の移り変わり)

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7.脱穀

昔:千歯(せんば)・足踏み脱穀機(あしぶみだっこくき)

ハデにかけた稲が乾燥したら、それをハデから降ろして脱穀の作業を行います。この脱穀の道具は、大正の中頃まではもっぱら竹で細工した「こき箸」や千歯に挟んでしごき、それをむしろに広げてもみを棒でたたいていました。この作業に大変な労力と時間が費やされました。大正から昭和の初期にかけて足踏み脱穀機が導入されました。

千歯 千歯

今:コンバイン

昭和5年ごろから焼きだまエンジンと呼ばれる動力脱穀機が、昭和20年以後は電力脱穀機が普及しました。そして、ハーベスタから5条刈の大型コンバインが平成に入り普及し、作業が快適になり効率が飛躍的にアップしました。

コンバインを使用した脱穀

8.調整

昔:唐箕・泥臼・万石(とうみ、どろうす、まんごく)

脱穀した籾を集め、これを臼でひき米にしました。臼は松の木でできた木臼でしたが、大正頃から泥歯臼に代わってきました。それを1人ないしは2人で、回しながら籾殻を落としていきました。臼で籾殻を取り除くと、次にこれを唐箕にかけて玄米と籾殻とを選別しました。唐箕は玄米と籾殻が交ざった状態のものを1人がその上部から入れて、もう1人が送風装置を手で回すことにより、重さの違いによって完全な玄米と実りの悪い米と脱穀の3種類を区別する仕組みになっています。それでも若干、米の中に籾殻が交ざっていたり、擢れていない籾も入っています。そこで、これをもう一度精選するために万石にかけます。万石は玄米が斜めの網の目を滑り落ちる間に、良い米は重みがあるので網の目をくぐって下に落ち、悪い米は下に落ちずにそのまま滑り落ちていきます。

唐箕 泥臼

万石

今:米撰器(べいせんき)

昭和27年頃より専門の籾すり機が出はじめ、昭和60年頃には改良の加えられた新しい機械が登場しました。揺動もみ摺り機から、さらに改良され籾と玄米の大きさの違いを利用し、1粒づつ選別する回転選別もみ摺り機(全自動システム)になり、モーターの回転が一定で安全に作業ができるようになりました。

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