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■赤川ほたるの思ひ出 文:森山比呂志
昭和十年ごろの赤川ほたるの思ひ出ばなしですが、私は他の子供たちと一緒に蛍保存会の提灯をさげ、足半(注1)を履き、暗闇の赤川沿いの道を歩きながら「蛍を捕るな」と拍子木を打ちながら捕獲防止に努めた覚えがあります。
また蛍保存会の故・太田紋三さんの発案により、赤川と阿用川の交流地点の河原に、稲架木(注2)を組立て、城または船の形をした蚊帳を吊り、その中に蛍数千匹を放ち観客を楽しませたり、他にも狩野翁碑付近に仮設舞台を作り、安来節や浪曲などの演芸を行い、露天などとあわせて蛍見物のお客を楽しませました。
蛍観の期間中には臨時列車が運行され、鉄橋の中央で停車して、蛍が群れをなし火の玉となってぶつかり合う蛍合戦の光景を、乗客に見物させ楽しませるなど(注3)、ほたるの季節には大東町の赤川ほたるを宣伝し観光にも貢献しました。
放ちやる蛍の匂ひ掌(て)に残る 比呂志
(注1)足半(あしなか)はわらじの一種で、足の真ん中ぐらいまでの大きさのものをいいます。
(注2)稲架木(はでぎ)は刈り取った稲を架けて乾かす際に使用する道具です。
(注3)大東に鉄道が開通した大正5年頃、このような列車が運行されていました。
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